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欠落こそ、僕の人生

目次

安心できる場所がなかった

持久走大会。この年も一位だったが、結果をつけないと自分は認めてもらえない。この時も不安と恐怖に怯えていた。

物心ついた頃から、家の中は両親のケンカ。
幼い僕にとって、それは戦争だった。

でも今は、それに感謝している。

父の暴力と怒号。母の泣き声。
子どもの僕にとって、家は安心できる場所ではなかった。

だから365日、外で遊んでいた。
公園から公園へ。友達を探して渡り歩いた。

孤独な僕には、友達の家族が
うらやましく思っていたけど

どこへでも行ける行動力と
どこでも仲良くなれる力は

もしかしたら、この時から
育まれていたのかもしれません。

安心できる場所が、欠落していたからこそ
僕は動き続ける人間になったんじゃないかと思う。

出会いが人生を変えた

高1の生徒手帳。友達ゼロから友達に恵まれ始める頃。
目にはまだ、だいぶ闇を抱えている(笑)。

中学3年生の時は苦しかった。

気に入らないことがあると、暴力、暴言を吐き続けた結果、僕の周りには、友達が誰もいなくなった。

そんな僕を変えたのは、学生時代の恩師だった。
ダメな自分を「お前はできる」と本気で信じてくれる。そんな存在に初めて出会った。

どんな自分も受け止めてくれ、人としてまちがった時には、厳しくも愛情をもって叱ってくれ、落ち込んだ時には勇気、希望を与えてくださる先生。

先生ご自身も、悩みや苦労を抱えながらも、生徒のため明るく誠実に振る舞う。毎日を全力で充実させてるその姿に

自分もこんな大人になりたい。
誰かの人生を励ませる教師になりたい。

未熟で繊細な僕の心に
一生消えない灯をともしてくれました。

学年最下位から猛勉強をはじめ
毎日3時間睡眠の生活を半年続け

ストレスで髪も抜けまくりましたが
第一志望の大学に合格できた。

人は出会いで変わる。
僕はそう、先生に教えていただいた。

教壇に立てない教師

手足が震えるのを隠しながら、授業する日々が約5年間続いた。

どうしてもなりたかった教師。大学卒業後、期待と希望に胸を躍らせながら初めて教壇に立った。

理想からは現実はかけ離れ、日を追うごとに自分の未熟さを痛感。気づいたら生徒の前に立つと、手足が震え、顔が真っ赤になり、汗が止まらなくなった。

圧倒的な指導力不足。
指導者としての努力が足りていなかった。

対人恐怖症になり、教員を続けることは
正直、無理かもしれないと思った。

とことん落ち込んだが、それでもいい授業ができるようになりたい。苦しかった時出会った恩師のように、青年の心に火をつける教師に自分もなりたい。その気持ちが自分を支えてくれた。

僕の体育の授業は相変わらず下手くそだったが、一から勉強してどうやったら生徒が楽しめるか、成長できるかを考え、まずはできない自分を受けとめ、実技は隠れて練習し、一つ一つの授業を丁寧に行うようになった。

保健の授業は手が震えて板書ができないから
オリジナルのプリントを作って対応した。

それでもわかりやすく理解できて、テスト勉強も
効率的にできるように意識してまとめた。

このプリントで、一生応援する気持ちを込めて
迷惑だったかもしれないが、自分を支えてきた
偉人の格言を、毎回プリントの裏に載せた。

どれだけ役に立てたかは僕にはわからないが、気づけば20年間、生徒一人ひとりと向き合い続け、世界一の教師を目指すようになった。

とことんに苦しんだ経験が
僕を教師として成長させてくれた。

離婚、そして世界へ

2017年世界一周しながら、国際ボランティアとしてネパールの学校へ赴任。体育の授業後の子どもたち。

結婚して3年で離婚した。男として、父として、人間として、すべての自信を失った。生きる希望も失った。毎日死ぬ事を考え続けた2年間は、本当に地獄のようでした。

でも今思えば、その絶望こそが
あり得ない決断に導いてくれた。
だから、今は感謝でしかない。

教員在職中に、世界一周する機会を奇跡的に認めていただけた。国際ボランティアに参加することを条件に認められる、休職制度を利用することができた。

もちろん、理解してくださった周りの方々がいてくださったからこそ実現できた。その上で、このありえない決断ができたのは、果てしなくパンパンに膨れ上がった負のエネルギーが、僕を常識のレールから飛び出させてくれた。

家族の欠落が、世界という居場所を与え
地球を家族に思えるきっかけをくれた。

アフリカが、僕を蘇らせた

一緒に走り回った後の一枚。信じられないくらい素直で元気いっぱいの彼らに力をもらった。

訪れた世界の国々は、どこもそれぞれに魅力的で素晴らしかった。日本だけで生きてきた僕にとって、目に映るすべてが新鮮で感動の連続。

そんな中、僕の心を、命を蘇らせてくれたのがアフリカ。東アフリカ、タンザニアは、計り知れないほど大きな愛と慈悲の心で、僕を包み込んでくれた。

言葉で到底表すことのできないほど
アフリカの無限の魅力と、懐の広さに
僕の心は、気づいたら元気になっていた。

来月のタンザニア渡航で12回目になる。
アフリカは僕の第二の故郷になった。

僕を育ててくれた日本と、僕を蘇らせてくれたアフリカ。この二つは、お互いの強みと弱みを補い合える、まさに凸凹の関係。僕はその間に立ち、橋渡しできる人間になりたいと思った。

全てを失い満たされない、欠落だらけの人生が
僕の使命に生きる場所、アフリカの大地へ出会わせてくれた。

今、まさに挑戦者

欠落こそ、発達を生む。孤独だったからこそ、どこでも生きられる。 自信がなかったからこそ、人の痛みがわかる。失敗し続ける惨めさ苦しみを味わったからこそ、人の優しさが命に染みる。そして、どん底からでも立ち上がれる、人間の強さも知っている。失ったからこそ、今あるものの価値がわかる。 自然に尊敬、感謝も生まれる。

順風満帆な時など、一度もなかった。それはきっと、僕だけではない。みんなそれぞれ、様々な苦悩を抱えながら、一生懸命大丈夫なふりをして生きている。それこそが人間であり、生きるということではないかと思う。

僕の人生は、欠落でできている。だからこそ、今はそれを誇りに思う。そして、欠落だらけのこの人生に、やっと見つけた使命がある。

アフリカは僕の、第二の故郷になった。

僕が目指す未来

教育に、僕は救われた。 一人の先生が、僕の人生に灯をともしてくれた。 スポーツが、僕を人とつないでくれた。 言葉が通じなくても、ボールひとつで友達になれた。 そしてビジネスでは、 互いに助け合いアフリカと日本を対等な関係で繋いでいける。すべての根本は、自他共の幸福のためでありたい。

日本とアフリカは、凸凹の関係。 お互いにないものを持ち、補い合える最高の仲間。 教育、スポーツ、ビジネス。 この3つでアフリカと日本が手を取り合うことが、必ず世界の平和につながると、僕は信じている。

地球は、一つの家族。
次の世代へ、安心できる場所を遺していきたい。

欠落だらけの人生が、僕をアフリカへ連れてきてくれた。 さあ、人生はいよいよここから。

アフリカと言えば、真崎憲二。

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