長いタイトルを見ると、中学時代に聞いていたB’zの
「愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない」という
曲のタイトルを思い出すのは、僕だけではないと信じたい(強く願う)
正解があるという幻想
今になって、ようやくこの事実が少しずつ自分の言葉として
温度感と肌触りを持って受け止められるようになってきました。
生徒として、先生として学校教育に関わり
たくさんの成長と共に、人生で役立つ知識や経験
人とのつながりや生きる力を育んでくれました。
しかし、僕の場合、物事全てに正解がある。
それが大前提であり、無意識レベルで刷り込んでいることに
最近ようやく気づけた(想像以上に手ごわい)。
今でも気を抜くと無意識に「正解」を探し始める自分がいる。
どの道を選んでも正解にしていくこともできれば
不正解にすることもできる。
要は自分次第。
もう少し、踏み込むと、自分が納得して、気持ちを込め、心を込め
魂を込めて踏み出していく。打ち込んでいく。
そもそも正解はないんだから
自分で正解にしていく。
そう思う時、いつも
雪が積もった一面の銀世界に
自分の足跡をつけていくイメージ。
誰に否定されるものでも、評価されるものでもない。
その足跡を、自分自身に胸を張れる、最高傑作にしようと思えてくる。
という幻想に、にやにやしようと思う。
悩みは尽きないとを知る
今の時点で気づいたことがある。
一つは、僕の人生には悩みが尽きないという事
もう一つは、どうやら他のみんなもそうらしい(幻想Ⅱ)
どの立場、どの年齢、環境であっても
どれだけまぶしく見えるような人でも
多かれ少なかれ悩みを抱えている。
それは今の時代だけでなく、聖徳太子の飛鳥時代も
紫式部や清少納言の平安時代も、徳川幕府の江戸時代も
どの時代でもみんな悩みながら生きてきたのが記されている。
また、日本だけでなく世界四大文明と言われる
イラク周辺のメソポタミア文明、ナイル川周辺のエジプト文明、
南アジアのインダス文明、黄河・長江流域の中国文明といった
古くは4500年以上前の古代人も今の僕たち同様に
仕事、人間関係、お金、家族のことで悩み愚痴をこぼしていた。
人々の驚くほど生々しい悩みの記録が大量に残っている。
主観の塊の僕ですが、客観的な事実からも
人生に悩みは尽きない。
この現実を受け止められなくても、頭の片隅に置いておくだけで
そういうもんかと、僕の場合は少し気持ちが楽になる(幻想Ⅲ)。
悩みがあるほど、幸せの感度を高める
悩みが尽きないのが人生だとしたら、悩みは悪なのか?
そう感じることが多かったが(もちろん今もある)
意外と振り返るとそうでもない気がする。
悩みの渦中にいる時は、人生のどん底でどうしようもない気持ちにもなる。
でも何年か経った時にそのことを見つめてみると意外といい思い出なっていたり
なんなら鉄板ネタになってることも多々ある。
自分自身にとっての成長を感じられるものであったり
強くなった、優しくなった、立ち直る力やたくましさが身につくだけでなく
同じ悩みを抱える人の気持ちがわかるからこそ
表情や声色、その人の仕草から何かを敏感に感じ取れたり
苦しい気持ちを喜んで受けとめようと思えたり
その人の話を聞くことが、どれだけ心が軽くなるか
身をもって知ってるからこそじっくりと耳を傾けられるようになれたりする。
何気ない一言に救われてきたからこそ
自然に一声かけることができたり
食事に誘ったりすることもできる(自慢できるほど、頻繁にしているわけではない)
悩みがあるからこそ、その繊細な心の変化に気づけることや
お節介かもしれないが、それでも自分から小さな行動に移せる自分に変わってこれた。
苦しみのどん底にいる人を励ますため
苦しかった経験を、笑顔で大丈夫というメッセージを込めて伝えることもできる。
少なくとも僕の人生にとって、悩みがなかった時よりも
より豊かで、幸せを感じられる人生へと前進していると思えている。
結局、何が言いたいかというと
自分の人生は、何が起きても自分で正解にしていこうと思います🌸

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