アフリカと言えば、真崎憲二です。
この記事を書いているのは7月7日、七夕。梅雨時期なので、雨の日がずっと続いてます。ニュースキャスターは「あいにくのお天気です」って言うと思うんですけど。みなさんは気にならないですか。あいにくってなんで勝手に決められるのかって(すみません、性格わるい)
天気が悪いって、誰が決めたのか。雨って、恵みの雨でもあるはずです。それによって大地が潤って、植物が生い茂って、微生物も小動物も動物たちも生きていける。僕たちだって、雨が降らなかったら生きていけない。これは誰もがわかるはずです。
それを「悪い」と解釈するのは、誰なんだろう。誰にとって悪いのか。
各自が思うのは自由ですが、公的なメディアがさもそれが当然かのように話すことに違和感を感じる。
肌色もそうですよね。「肌色」という言葉自体が見直された背景には、日本人にとっての肌色のイメージと、他の国の人にとっての肌色のイメージが全然違うという事実がある。アジアの人にとっての肌色は黒っぽいだろうし、白人にとっては白。黒人にとっても、アフリカの中で肌の色は全然違う。東アフリカから南スーダンの方に行くと、もっと濃い黒になったりする。「肌色」なんて、国により、民族により、個人の解釈によって全然変わる。。
あらゆる出来事の解釈も同じ。いい方に解釈するのも、悪い方に解釈するのも、中間で受け止めるのも、結局何でもあり。個人が自由に解釈するのはいいと思う。「今日は一日中、雨が降る予報です」という事実に基づいた予測にとどめればいいのになって思うのでもうほぼ何年もテレビは見ていない(見たくなければ見なければいい。以上)。
僕の場合も、正直「なんか嫌だな」って思うことはよくあります。雨に限らず、急いでる時に信号で止まるとか、なんかバタバタして大変な目に遭うとか。そういう出来事に対してネガティブに解釈することは結構ある。でも、それも自分の自由だし、その解釈がどんな感情につながって、どんな未来につながっていくのかも、全部自分で選べる。
だから最近は、そういう出来事をもう一回解釈し直して、自分の人生を作っていくということを意識して取り込んでいます。
余談ですが、「responsibility(責任)」という言葉。”response”と”able”、「反応することが可能」という言葉が合体してできている。意味は「責任」。まさに、自分の人生に責任を持つというのは、どんな反応をするか、どんな解釈をするか、その出来事をどう自分のものとして捉え、味わっていくか、という風に解釈している(ふむふむ)。
その積み重ねで、感謝の度合いも、リスペクトの度合いも変わってくる。反応に応じて自分がどんな感情になったか、どんな態度を選択したか、どんな行動を選択したか。その積み重ねで、起きる出来事も、結果も変わるし、周りの反応も変われば、周りに集まってくる人の質も変わる。周りの人に与える影響だって変わってくる。
そんなことを、梅雨時期の街中を歩きながら、「今日はあいにくの天気だな」と思った次第です。

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