AIの急速な進化だけでなく
自分も毎日複数のAIを活用している。
身体拡張の一部を担っているようで便利ではありますが
少し気を抜くと質問を丸投げして答えを得ようとしたり、僕の考えに迎合したりする傾向がある。
だから、自分はABC案で迷っていて、この理由でA案を選ぼうと思っている。
それについてあなたはどう思うか?
僕のこの考えについて、賛否両論、中庸の視点からアドバイスしてください。
など、盲目的に信じて利用しないように心がけている。
便利さの裏側には必ずトレードオフするものがあると思う。
自家用車に毎日乗ることで、歩いたり走る体力が落ちたり
冷暖房を使い過ぎて、体温調節や暑さや寒さに弱くなったりする。
消毒のし過ぎで抵抗力が弱っていくことなどもあると思う。
最近、ハマっているCOTEN RADIOの深井龍之介さん。
日本人の世界に誇る強み、特性として「身体的知性」を挙げている。
これまでの西洋文化台頭により、「言語的知性」つまり
言語化することに重きを置く知性の重要性を求められてきた。
個人的にはこれはまさにAIが得意とするもの。
そういう意味では代替される可能性が高い。
しかし、身体的知性は言語化できない知性。
例えば、職人が師匠の仕事ぶりを目で盗んで覚えるとかもそうだし
肚落ちする
頭に血が上るとか
浮足立つとか
体の感覚と共に感じたり記憶されたりするものも
それに通じると思うし、これが日本人特有の物だと深井さんは言う。
それに凄く共感します。
日本人の身体的知性は圧倒的らしい。
これは僕の仮説だが、AIが加速するほど、
この身体的知性の重要性がこれからますます高まると思っている。
そして、日本以外だとアフリカの人々は
この身体的知性が高い気がしている。
スワヒリ語などは非常に言葉数が少なくシンプルなことが
身体的知性を磨く一つの要因になっているのではないかというのと
今まで教科書や教材がないため、やって覚える、見て覚える
というのが日常的に浸透しているように感じた。
タンザニアで現地の人と過ごしていると、言葉よりも先に体が動く場面が多かった。
特に自動車や重機関係の修理は、やりながら覚えていくというスタイル。
説明書なんかないし、マニュアルも存在しない(笑)。
言語化しなくても、体がちゃんと覚えている。
スワヒリ語の語彙数の少なさが、逆にそういう非言語の感覚を鍛えてきたのではないかと
現地で生活して肌で感じた。
理性的の反対の本能的、もしくは野性的とも言えるのかもしれませんが
そういう人間の動物としての部分の大切さに気づいていく。
そんな時代に突入しているのかもしれません。
完全に僕の身体的知性による予測ですが、、、🌸
AI時代と身体的知性

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