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肩書きが外れたとき、僕は生きていけるのか

「教員」という肩書きが外れたとき、自分は生きていけるのか。この現実を強烈に突きつけられた瞬間があります。教員時代、1年間休職して世界を回ったときのことです。

世界を旅している間、僕が教員かどうかなんて誰にも関係ありません。ただ1人のアジア人男性がそこにいるだけ。それまでの実績も、経験も、学歴も、教員という肩書きも、何の役にも立ちませんでした。

「お前は1人の人間として、何ができるんだ」

その問いを、ほとんど恐怖に近い感覚で突きつけられたのを、今でもよく覚えています。

それがきっかけで、肩書きではなく「自分に何ができるのか」「何で人に価値提供ができるのか」を、真剣に考えるようになりました。そして教員を辞め、独立し、起業する道を選びました。

もちろん簡単な道ではありませんでした。想定外の連続で、本当に大変なことも多かった。でも、たくさんの人の助けやご縁のおかげで、ここまでたどり着くことができました。そして何より、肩書きが外れた中でも、確実に価値提供をしながら生きていけるという実感を、少しずつ積み重ねてくることができました。

コミュニティの運営、海外ビジネスの支援。そういう活動を続ける中で、肩書きがなくても、自分にしかできない価値提供ができるようになってきた。これは僕にとって、本当に大きな手応えであり、喜びであり、成長だと思っています。それが一過性のものではなく、継続して必要としていただけることに、大きな喜びを感じています。

一般的には60歳や65歳で定年を迎えます。でも、この経験を磨き続けていけば、定年後も続けていける可能性がある。そこからさらに第2、第3の矢として、別の仕事に展開したり、他の方とコラボしたりすることもできる。そういう具体的なビジョンや手応えが、少しずつ肌触りのあるものとして見えてきています。これは、教員を退職してチャレンジしてきて本当に良かったと思える理由のひとつです。

明日からいよいよタンザニアに出発します。ここでも変わらず、価値提供をしていきたいと思っています。

ただ、蛇足かもしれませんが、ひとつ一貫していることがあります。それは「教える」ということです。教員時代は保健体育や野球を教えてきました。退職してからは、教える価値そのものを教えてきました。今は、日本企業やコミュニティ、学生の方々に、世界を教えています。そういう意味では、「教育」という自分の柱の部分は、ずっと変わっていないのかもしれません。

肩書きではなく、1人の人間として力をつけ、磨いてくることができたのは、これまで出会ってくれた人たち、応援してくださった方々のおかげです。

そしてそれだけじゃない。否定してくる人、無視する人、悪口を言う人たちのおかげでもあると思っています。そういう人たちが言ってくれるおかげで、存在感が際立ったり、僕がいない場でも僕という存在を話題にしてくれたり、認知を上げてくれたりする。そして、オセロがひっくり返るような瞬間には、痛快な喜びも味わえる。それを楽しみに、淡々と積み重ねていきたいと思っています。

それは、復讐や恨みを返すということではありません。全部を笑って包み込めるような人間でいたい。悪口を言ったり否定したりする人も、本当は今の自分を変えたいと思っているはずです。自分に足りていないものがあるから、人を攻撃したり否定したりしてしまう。そういう人たちも包み込んで、「よし、今度はあなたの番ですよ」と、火をつけられるような。そんな懐の広い人間になりたいと思っています。

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