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地球の視点に立つということ ―筋トレとサファリと、人間関係の話―

タンザニアへ出発する前の朝、僕はいつも通りジムで筋トレをしてきた。空港に向かう前ですが、ただのルーティン。でもその日のトレーニングを振り返った時、ある違和感に気づいた。

僕は、回数を追っていた。

目次

回数ではなく、負荷を味わう

なんのための筋トレか。僕にとっての目的は、健康のため体を鍛えること。体力をつけること。だとすれば、大事なのは「何回やったか」ではなく「筋肉がちゃんと強くなっているか」のはず。

筋肉が強くなるのは、重さをしっかり感じて、その負荷に耐えながら、じわっと伸ばされていく感覚があるとき。回数を稼ぐことに気を取られていたら、その感覚は薄れてしまう。

回数が多いんじゃない。負荷を感じろ。重力を味わえ。

そう思考が飛んだ瞬間、僕の中でもう一段階、視点が切り替わった。

重力を感じることは、地球の視点に立つこと

重力を味わうというのは、つまり地球の存在を感じているということだ。地球を感じるということは、自分を宇宙の一部として捉えているということでもある。

そこからまた、思考が広がっていった。自然界を見渡すと、同じ法則が至る所にある。

木の下に立って見上げると、葉っぱは決して重ならない。太陽の光を少しでも多く浴びられるように、お互いが場所を譲り合いながら、自分の位置を確保している。これは自分が生き延びるためであり、同時に相手が生き延びるためでもある。

動物も同じだ。今回向かうサファリでも見られるように、動物たちは自分たちの縄張りの中で、むやみに争わない。生き延びるために捕食することはあっても、必要以上に奪い合うことはしない。

縄張りとは、地球のリズムであり、ルールであり、その自然の美しい光景が示しているのは共存のあるべき姿なのかもしれない。

人間関係も、同じ法則の上にある

では、人間はどうだろう。

人間関係がうまくいっている時というのは、たいてい役割が重なっていない時だ。「あなたはこれをやって」「私はこっちをやるね」とお互いの役割がはっきり分かれていると、自然に助け合い、喜び合い、共存共栄していける。

逆に、役割が重なったときに争いは生まれる。「私もこれをやる」「私もこれをやる」と同じ場所を取り合い始めると、そこに優劣をつけようとする力が働く。俺の方がすごい、私の方がすごい、お前はダメだ――そうやって、本来必要のない争いが生まれてしまう。

コミュニケーションも同じだ。相手の強みや特性、役割をきちんと認識し、同時に自分の属性や役割を認識することで、無駄な衝突は減らせる。そこには自然と、感謝や尊敬の気持ちが生まれてくる。僕はそう思う。

昨日までのイライラの正体

実は昨日まで、僕は少しイライラすることがあった。その原因を考えてみたとき、気づいたのは「役割が重なっている場所で、なぜか優劣をつけようとしていた自分」だった。

俺の方がすごい――そんな風に思おうとしている自分がいた(小っせぇ)。

でも、それは違う。地球や宇宙という静かな視点から見れば、それぞれの役割や特性は、ただその人固有のものにすぎない。僕には僕の特性があり、役割がある。相手にも相手の特性と役割がある。

わざわざ相手の役割を邪魔しに行くこと、相手の特性を否定しに行くこと――それはもう論外なのだ。
みんなもう知ってるかもしれないが、僕にとってはようやく気づけた大事なこと。

自然の一部として、自分の役割を生きる

地球や宇宙の静けさから見れば、僕たちも自然の一部にすぎない。植物や動物を含めた生物として、自然界の一部であり、地球の一部であり、宇宙の一部。

そんな大きな視点から見れば、些細なことで意地になっている場合ではない。そこにエネルギーを注ぐくらいなら、お互いの特性を理解し、自分の役割も相手の役割も理解した上で、それぞれの力を発揮して活躍していく方がいい。

それこそが、本来あるべき、美しい人間の姿なんじゃないかと思う。

もちろん、これはゴールではない。まだまだ気づきは重なっていくし、思考は更新され続けるだろう。2026年7月11日、タンザニアへ出発する朝に立ち返った、今の段階での気づきとして、ここに記しておきたい🌸

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