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いつでも会えるようになった

みなさん、こんにちは。真崎憲二です。
今回は「いつでも会えるようになった」という話をしたいと思います。

ちょうど約1年前に父が亡くなって、初めての初盆を迎えました。

そういう中で僕自身が感じるのは、空を見上げると、なんだか父と繋がっているような感覚があるということです。空からいつも見てくれているような、そういう不思議な感覚があって、報告したり、相談したり。ちょっと落ち込んだときには「今こんな気持ちなんだよね」と話しかけたり、嬉しいことがあったら報告したり。そんなことをしています。

生きているときは、やっぱり会いに行ったときとか、たまに離れているときに手紙を書いたりすることはありましたけど、近くに行ったときだけ繋がる感じがしていました。それが今は、いつでも父と対話できる。繋がれる。そういう安心感があって、なんだか不思議だなと思っています。

目次

「亡くなっても生き続ける」の意味

よく「亡くなっても生き続ける」って言うじゃないですか。前からよく聞いてはいたんですけど、「何を言ってるのかな」「きれいごとを言ってるのかな」ぐらいに思っていました。でも本当に生き続けるんだな、というのを、今、身をもって実感しています。

こう感じられるのも、自分が生きているからこそだし、父が生きていてくれたからこそだと思います。

特に、亡くなる前、生きている間に、父と仲直り——と言ったら変ですけど、お互いの誤解が解けて、心の底から父に感謝できるようになったこと。お腹のつかえが取れて、心の底から感謝できるようになれたことは、今の自分にとっても大きいのかなと感じています。

遅すぎることなんてない

これは僕の推測ですし、自分の周りの人たちと話していて、あるいは見てきて思うところなので、本当かどうかは分かりません。でも、家族のことで悩んでいる人って、実はすごく多いと思うんですね。

お父さんとの関係が今どういう状況かは分かりませんけど、大事なのは「自分がどうありたいか」だと思うんです。本当はちょっとでも仲良くしたいのか。感謝したい気持ちがあるのか。

僕はきっと、今どういう状況だったとしても、本当は感謝したいし、尊敬したいという気持ちが、誰しも根底にあるんじゃないかなと個人的には思っています。

「生きている間に何もできなかった」と悔やんでいる人の話も、ときどき聞きます。でも、遅すぎることなんてないと思うんです。

もし亡くなってしまった後でも——父でも母でも、僕の場合は今回、父でしたけど——亡くなってからでも、対話はきっとできると思うので。決して自分を責める必要はないのかなと、個人的には思っています。

これは自分自身が、自分を責め続けた経験があるからこそ感じる部分なのかもしれません。

青空を見上げながら

ちょうど今、車を運転しながらハンズフリーで話しています。青空を見ながら、「ちょうど1年前だな」と思って、父と会話をしていました。

父と対話できていることが、なんだか嬉しいな、不思議だなと思ったので、こういう記事を書いてみました。

何か少しでも参考になれば嬉しいです。ありがとうございました🌸

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